今までに見た舞台の感想をつづってあります。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 劇場:こまばアゴラ劇場 日時:2020年8月15日17:30-18:30 料金:支援会員特典(前売2900円) 座席: 劇団:スペースノットブランク 振付・出演:荒木知佳 古賀友樹 花井瑠奈 山口静 演出:小野彩加、中澤 陽 演出:小野彩加 中澤陽 舞台監督:河井朗 音響・照明:櫻内憧海 制作:河野遥 保存記録:植村朔也 芸術総監督:平田オリザ 技術協力:黒澤多生(アゴラ企画) 制作協力:半澤裕彦(アゴラ企画) 解説: ジャンルの越境。 ではない舞台芸術のすべての価値を探究しながら作品の制作を行なうスペースノットブランクが舞台芸術に成る以前のダンスを考察し、身体のために新しい動きのメソッドを確立する。 本作は2019年1月より継続して制作と上演を行なっており、多様な身体と場所を通過して研鑽を積んできました。「ダンス」と「身体」そして「動き」についての舞台作品です。 これまでの『フィジカル・カタルシス』は「ダンス≠ダンス作品」という考えのもと、ダンスと結びつけることのできる要素を抽出してシーンを構成し舞台に表すことで、ダンス作品として成立してしまうことの不条理を取り扱ってきました。観客が体感する上演の時間を「形」として、『フィジカル・カタルシス』は上演から上演へ「変形」し続けています。観客が体感する上演の時間。ではないすべての時間に、観客の身体も「変形」し続けています。身体は社会と繋がっています。 今日の『フィジカル・カタルシス』では、距離が保障された現代に於いて、条理と不条理、プレイとパフォーマンス、それら「システムの越境」を越境し、未来の身体の動作と配置を創造することを目的に「変形」した作品と観客が出会う新しい場所の「形」を探究します。 ーーーーーーーーーーー 20分前からビデオによる主宰からの事前説明。以下は私が聞き取れた概要。 演劇の歴史においてほとんどの期間ではテキスト・言葉が重視され、上演行為は軽視されてきた。 テキスト重視では脚本家が神格化されてしまう。19世紀以降では上演にアイディアを埋め込まれ るようになったが、その場合神格化されるのが作家から演出家にうつっただけ。 作家から離れた作品を示すのがこの作品の狙い。 この作品はある程度テキストがあるが稽古場で発せられたもので、ある作家が作ったものではない。 テキストがメインで舞台がサブ、が反転されてテキストは舞台の一部だとしている。 このようなドキュメンタリー的演劇はいまにはじまったものではない。 また言葉が意味が通らないほどにコラージュされている。物語性は希薄になり、それにイメージ する作業は観客に託される。つまり観客は作者のひとりとして参加する。 作者は複数化され、特定の個人に還元されることはない。 このようにコミュニケーションによって立ち上がる舞台は歩みを進み続ける。 フィジカルカタルシスは年に4回、形が異なる形で上演されている。 作家の作品であることからはなれたものを追求している。 時間的にも空間的にも劇場という舞台を実際に超越する。 出演者が自分で振付を作り出す。演出家は方向性を設定し、パッケージを作る。 これは作家主義へのカウンターである。 ------- ディスプレイに舞台の映像が流れる中に、ダンサー登場。どこから撮影してるんだろう? と振り返ってしまいましたが、映像はじわじわと現実からずれていくのでした。 時間がずれていくだけかと思いきや、映像の中では違う振付を始め、、事前撮影の映像と 現実の演技をいくつかのポイントでタイミング合わせをしているようでしたね。 映像にはないドラマー登場して、ドラムとバスケットボールと縄跳びでSTOMPっぽい ところもあり。筋肉体操っぽい動きもあり。 キャストはみな限界まで動いているようで、ぜいぜいいう息が聞こえてきます。 これなら毎回どこかが変わっていてもおかしくないというか、演出家はどういう指示を しているのか気になりましたよ。キャストごとに得意な動きがあります?? 何か台詞を語るシーン、主題歌?を歌うシーンもあり。 こういう舞台もありなのだ、不思議な踊りを見た!というのが正直な感想です。 PR |
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