今までに見た舞台の感想をつづってあります。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 題名:KAAT×地点共同制作作品第6弾 地点『スポーツ劇』 劇場:KAAT神奈川芸術劇場 日時:2016年3月19日 19:00-21:00 料金:一般3500円 座席:最前列中央ブロック右端 出演: 【作】エルフリーデ・イェリネク【翻訳】津崎正行 【演出】三浦基 【音楽監督】三輪眞弘 【出演】 安部聡子 石田大 小河原康二 窪田史恵 河野早紀 小林洋平 田中祐気 【合唱隊】 朝日山裕子、礒﨑祥吾、宇澤とも子、大畑和樹、大道朋奈、後藤天、鈴木修平、相馬陽一郎、田嶋奈々子、野澤美希、圜羽山圜、村田結、柳内佑介、米津知実 舞台美術:木津潤平 衣裳:コレット・ウシャール 照明:大石真一郎 音響:徳久礼子 舞台監督:小金井伸一 プロダクション・マネージャー:山本園子 技術監督:堀内真人 宣伝美術:松本久木 制作:伊藤文一 小森あや 田嶋結菜 解説: 母親によって殺された父の復讐を誓い、弟のオレステスと母殺しを実行する、エレクトラ。 恋人アキレスを虐殺し、自身も命を絶つ女権国家アマゾンの女戦士、ペンテジレーア。 オーストリア出身で“アーニー”の愛称で本国でも親しまれる、アーノルド・シュワルツェネッガー。 彼に憧れ、筋肉増強剤の過剰摂取で死亡したボディビルダー、“アンディ”ことアンドレアス・ムンツァー。 精神病院で死んだ父、母との緊張関係、自らの生をも題材としてきた作家、エルフリーデ・イェリネク。 古代ギリシアの復讐の物語に登場するヒロインたちをモチーフに、 メディアによって翻弄される現代人の姿、戦争の代替としてのスポーツ、身体から逃れられない人間の宿命について、イェリネクは自らを媒体として語り続ける。 パパ ママ イエス 違う 沈黙から沈黙までの長広舌。 圧倒的な集中とイメージの乱高下。 『光のない。』(2012年初演)に続く、地点によるイェリネク作品第2弾! 膨大なモノローグの応酬によって構成されるこの戯曲では、戦争の代替としてのスポーツについて繰り返し語られ、スポーツ観戦に耽る大衆と戦争を黙認する国民が重ねて描かれます。 全編に渡って溢れるスポーツのイメージ。随所に散りばめられる、ギリシア悲劇の引用、実在のスポーツ選手やスター俳優、そして著者自身のエピソード。 理性的にスポーツ批判が展開される一方で、雑多なイメージのひしめく異常なエネルギーと集中力。 イェリネクが差し出す、新たな「語り」の可能性に応えるべく、地点は「決して黙らない演劇」をつくります。 ------- なんかすごいが、うまく言い表せない。ほぼ満席。 舞台の上には人工芝らしきものが前方から舞台奥に向かって急速にせりあがる形で 敷かれていました。後ろに行くと坂を駆け上っていく形になります。 そして最後は重力に負けてごろごろごろと前へ。 舞台前方にはバレーボールより大きいネットが張り巡らされていました。 そしてそこには0-60までのカウントダウン、カウントアップを 繰り返す映像が開演前に流れていました。0になるたびにホイッスル! 左右の頭上には黒尽くめのコスチュームの楽団?が音色が異なる棒を持って 体をたたいて合奏。合奏のパターンが劇場チラシに記述されてましたよ。 そしてほとんどがモノローグで進みます。 ちょっと運動のかっこうをすることもあるけれど、一番多いのは 反復横とびしながらのせりふ。これはすごい運動量。 そして坂に駆け上がっては滑り落ちる。 台詞は反戦、スポーツ、戦争の代替品としてのスポーツ、 ママ、ターミネイター、死、蘇生、イエス、、、、 ずっと誰かが動きながら話し、話し終わると倒れたり立ち止まったり、 後半になると皆が同時に動き始めました。なんとなく物語があるようなないような。。。 こういうものを公共劇場で普通に上演できる!ということがすでに現代劇なのかもしれません。 PR |
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