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今までに見た舞台の感想をつづってあります。
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題名:トランス elder version
日時:2005年11月19日19:00-21:00
場所:紀伊国屋ホール
料金:5800円
座席:I列12番
出演:
紅谷礼子:松本紀保
立原雅人:みのすけ
後藤参三:猪野学

紀伊国屋ホールで久々に演劇を見ました。私はある意味田舎に住んでいまして、新宿に
出てくることがほとんどありません。久々に歩く新宿東口の風景は以前とがらりと変
わっていて近未来に来てしまった気分。
さてこの作品は96年の公演を見ています。ほぼ10年ぶりに見たわけです。約9割の入り。
ある日突然、自分が南朝の天皇だと言い出した男がいて、そいつを病院にいれて療養さ
せているうちに、実は診察している医者が、自分が医者と信じた患者であって周りが
妄想にあわせているという、というのがまた妄想で。。。
患者と医者が次々と入れ替わってどの妄想なのかわからないのは前回でも非常に印象に
残っています。あのころは自分探しが流行していましたよねえ。
今回は、天皇がいい味出していました。ほんとに南朝の天皇がいらっしゃったらこんな
感じになるかもしれません。この舞台を見ていて自分自身の方が変わっていることに
気がつきました。本物の自分がない、自分という箱しかない、といって舞台で悩んで
いるのですが、それはまさに誰にとっても真理なのではないでしょうか。
本当の自分はいまここでこうやっている自分しかいないのに。
それから天皇だと主張するくらいでで入院させる必要あり?自分自身の意識が途切れる
のは確かに問題ですが、一貫した意識があって前のことを覚えていて「天皇である」
以外はすべて論理的な行動をしているのですから日常生活にはまったく不自由しないし
他人に害を及ぼすこともないでしょう。自分が何者である、よりも自分が一貫性のある
自分であることを確認するほうが生活するうえでよっぽど重要なことでしょう。
私は、認知症で日に日に壊れていく親を間のあたりにした経験から、いったいいつまで
自分が自分であるという認識を持って生きていけるか不安を持っています。もっとも
これ自体も幸せに生きていくのに必ずしも必要なことではないのでしょうが、まだ悟り
きれていません。
台詞の中で互いに「あなたが男だったらよかったのに」、を間違えて「女だったらよかっ
たのに。」場内爆笑でした。

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